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特殊教育... 執筆活動..ファンレター..まだまだ続く.

私的なこと - 特殊教育 - 執筆のイロハ - 執筆の経験談

ファンレター - ビデオ - 母親業

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トリイ・ヘイデンに関しては、日本語に限り、上記2冊の本が出版されています。『シーラたち』は、トリイの著作が人生に与えた影響について、ハヤカワ国際フォーラム宛てに大勢の読者が綴った感想文集です。『トリイ・ヘイデン&斎藤学 対談集』には1998年にトリイと斎藤学先生が共同で行った講演と対談が完全収録されています。

 

 

 

私的なこと

トリイ・L・ヘイデンのLはなんの略ですか。

Lynnです。

今もドクター・ペッパー(訳注:米国製の、カフェインを含んだ炭酸入り甘口飲料。コーラに似ている)を飲んでいるのですか。

そうしたいのはやまやまですが、中年太りの体はそうは思っていないようです。今ではたまにしか飲みません。

ご主人は、本に出てきたチャド? ヒュー? それとも他の誰か?

作中の人物ではありません。主人のケンに会ったのはイギリス・ウェールズに引っ越してからです。

特殊教育 

どうして特殊教育の先生になったのですか。

大学1年の時に、貧困家庭の就学前児童の教育プログラムでアシスタントをやり、たちまち魅了されてしまいました。

ずっとこういう仕事に就きたかったのですか。

作家になりたいということはずっと意識していました。でも、特殊教育に関わるようになったのは偶然の成り行きです。恵まれない子どもたちのためのプログラムで働いている時に、この仕事が大好きになりました。

重度の精神障害児が相手の仕事は大変ではありませんか。

特殊学級は、そして教えるということは全般に、単なる職業というよりは聖職だと思います。だから性格的に本当に向いていなくては楽しめませんし、やりたいという並はずれて強い願望がないとできないものです。でも、性格的にあってさえいれば、面白いし、やりがいのある極めて充実した仕事です。ただし、仕事はきついわよ。

成果がなかなか出なくて、落ち込むことはありませんか。

私は「結果重視型」というよりも「プロセス重視型」の人間です。何かするときはそのプロセスを楽しむので、結果はそれほど気になりません。ですから、私は教室にいることや、子どもたちと一緒にいることを楽しみますし、仕事をしているときはその現状にどっぷり浸かります。もちろん子どもたちのためには、助けになって、将来を少しでも良いものにしてあげたいと思いますが、私にとっては、結果や将来はそれほど重要ではありません。落ち込んだり、「燃え尽きた」と感じたりする人はどちらかといえば「結果重視型」の人が多いようです。そういう人は同じ経験をしても、成果が上がらないとあまり楽しめないのです。

この分野の仕事に就くにはどうすればいいのですか。

性格がこの種の仕事に本当に向いているかどうかを見極めることがとても大切ですから、正式に勉強を開始する前に、特殊な子どもたち相手の仕事をボランティアでやってみることをお勧めします。ボランティアとして楽しく仕事ができれば、仕事としてやっても楽しめるでしょう。

あなたのような先生になるには、どのような仕事の経緯をたどればいいのですか。

職業指導をするとなると、私は理想的な立場にはありません。私自身、王道を歩んできたわけではありませんもの。なにしろ、最初の学位が生物学だったくらいですからね! それに、私が資格と学位をとったのはもう20年も前のことで、それから条件も変わってきているかもしれないでしょう。まずはあなたの高校の進路指導や就職指導の先生に相談するのが一番でしょう。

今でも教えているのですか。

いいえ、今は教えていません。娘が生まれた時に一緒にいたいと思ったので、教えるのは辞めました。娘の成長に伴って、他の分野に関わるようになりました。主に、児童虐待に関するカウンセリングと講演です。執筆も続けています。状況が変われば、古巣に復帰することがあるかもしれません。

あなたのもとでボランティアをしたり、インターンになったりすることは可能でしょうか。

現在は積極的には教えていませんし、いろいろなプログラムに少しずつ関わっているという状態なので、今はボランティアやインターンの人を置くことはできません。でも、私でなくても、ボランティアとしての力を借りたいと切望している先生や保育士があなたの近くにいると思いますよ。

あなたと関わった子供はほとんどが助けられていますか。

「はい」と答えられればいいのですが。でもこれは「数当てゲーム」ではなくて、実在の人と実生活に生じる状況です。せいぜい私に言えるのは、傷つけてしまった子どもよりは、助けてあげられた子どもの方が多いことを期待したいというくらいです。ここで一言言っておかなくてはいけないのは、私は何も「特別な先生」ではないということです。私が現場にいる他の、それこそ大勢の先生方より多くの成果を上げたということではないのです。大きな違いは、私は書くことができる、その一点だけです。ですから、私の仕事のことは知ってもらえているわけです。でも、素晴らしく熱心で、献身的で、私がやったのと同じくらい、中には私以上に、たくさんのことをしている人たちも山のようにいるのです。

どうしていつも成功例ばかり書くのですか。

だって失敗例を読みたいと思う人はそう多くはいないでしょう。ということは、出版社だって出してくれないでしょうし。でもだからといって、私に失敗はないということではありません。成功のほうがいい話になるというだけのことです。

『シーラという子』では、他の子どもたちよりシーラのほうに気を奪われていたようですが、シーラのように特別な子であったとしても、何人もの子どもの中から1人ばかりに特に注意を払うのは公平と言えますか。

クラスのどの子どもたちにも、同じように注意を払いました。シーラについての本を書いたので、この本の内容はシーラが中心になりました。それで、他の子どもたちよりも彼女に集中していたような印象を与えますが、これは書くということの1つの手段に過ぎません。そうでなければ、本の題名だって『大勢の子どもたち』(訳注:『シーラという子』の原題は『ONE CHILD(一人の子)』)にしければならなくなってしまうでしょ。

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執筆のイロハ

最初の本を書いたのはいつですか。

処女作は『シーラという子』で、書いたのは1979年です。最初から出版するつもりで書いたわけではありません。シーラと過ごした特別な時間がはるか昔の出来事になってしまう前に、私自身の記録にしようとして書き始めました。自分のために書いていただけですから、筆が走って、8日間で一気に書き上げました。「これって、1冊の本になってるじゃない」と気付いたのはその後です。

どうやって出版にこぎつけたのですか。

書店に行って『ライター市場』という、照会状の書き方や出版社を探す方法が書かれている本を買ってきて、そこに書かれている通りに手紙を書きました。それからこの種の本を出していると思われた出版社のリストを作り、そのうちの3社に手紙を送りました。当時はG.P. Putnam's Sonsという名前だった出版社が数日後に返事をくれ、最初の3章を見せてくれというのです。それを送ると、1週間も経たないうちに残りをすべて見せてくれと言ってきました。それから先はご存知の通りです。

不採用通知はたくさん受け取りましたか。

『シーラという子』は、作家にとっては夢のような出来事でしょう。書き始めてから出版契約書に署名するまで、わずか42日でした。これでは、不採用通知を受け取る暇もありません。ただ、執筆にはそれも付き物ですから、その後は、拒絶されたことがないわけではありません。

作家になりたいのですが、何か秘訣はありますか。

執筆は個人によるところが大きいので、秘訣といっても簡単に言えることではありません。私にはうまくいくことでも、他の人には通用しないこともあるでしょう。でも、一般的なことだけ、いくつか挙げてみましょう。
1) 自分を信じること。それこそ両親や先生に始まって出版社や代理人に至るまで、大勢の人がよってたかってあなたを失望させようとするでしょう。自分のしていることを自分が信じなければ、他の人に信用してもらうことなど期待できません。
2) 素晴らしいと言われる本は、心の奥深くから出てくるということ。だから、処女作が最高傑作という作家が多いのです。みんな、その時点で心の一番奥深くにある一番大切なことを書いているのです。そういうこともあって、知っていることを書きなさいというアドバイスをする作家が多いのです。言葉こそ違うけれど、ほとんど同じことを言っているのです。
3) 自分のストーリーは自分にしか書けないということを自覚すること。誰にもやり方は教えられません。文法や句読点の打ち方みたいな、執筆のイロハは教えられるけれど、作風はあなた自身のものです。ですから、他の作家がどういう風に書いているのか確認するために、本をたくさん読んだりとか、創作的な作文の授業に出たり、作家の講演を聞きにいったりするのは、それはそれでいいのですが、あなたのストーリーはあなた独自の作風で染めなければね。
4) 一にねばり強さ、二にねばり強さ、三と四がなくて、五にねばり強さ。

手書きの原稿を出版社に渡してから完成本になるまで、どれくらい時間がかかるのでしょうか。

本は赤ちゃんみたいなもので、最終稿を提出してから書店に並ぶまで、だいたい9ヶ月かかります。この間に、原稿が最終版になり、入稿用に整理されます。つまり、文法や綴りなど、技術的な誤りを誰かに点検してもらうわけです。それから印刷に回されて、ゲラ刷りの状態で著者に戻されます。このときにはもう、完成本と同じように印刷されています。著者が最終校正を行ってから、装丁になります。ブックカバーもこの間にデザインされます。当然、著者にも本の外観を気に入ってもらいたいという希望は出版社にもあるでしょうが、最終的に表紙などのデザインは出版社が決定権を握っています。

どうしてハリウッドにあなたの本を踏みにじるようなことをさせたのですか。

本が映画になるまでには、2つの通過儀礼があります。最初は、「オプション」と呼ばれるもので、俳優、プロデューサー、映画脚本家など、映画業界の誰かが映画化したいという思いから、作家に少額を払って、一定期間、普通は1年間、本の権利を握ります。十分な資金繰りのめどが立ち、脚本を仕上げ、その期間内に映画の製作を開始できれば、全面的な権利を買い取って、どんどん映画を製作します。本の著者は、署名欄に署名し、契約料を受け取った瞬間から、創作面に口を挟めなくなります。だって、映画という特定の創作手段におけるストーリーの権利を実際に買い取っているわけですから。それから先は、買い取った人の創作作品になります。だから、制作者は思いのままに事を進められる一方で、著者に発言権はないのです。著者も、脚本の制作に携わるか技術的なアドバイザーとして創作面に口を挟み続けることはできますが、映画の製作は執筆とは桁違いに集団行動の様相が強いので、それさえも叶わない場合があります。さらに言えば、映画業界で仕事をするには、必要な技量が不足しているし、本を執筆する時間も取られてしまいます。ハリウッドが本を踏みにじらないようにする成功間違いなしの方法は、一切売らないことです。でも、それじゃ面白くないでしょう。

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執筆の経験談

ずっと作家になりたかったのですか。

はい。初めて鉛筆の持ち方が分かったときから、書いていました。8歳の時に書くことの「不思議な力」を発見したときのことを、『タイガーと呼ばれた子』に書きました。学校時代、英語のワークブックをしなければならないときに、愛犬に関する短編を書きました。受け持ちの先生が私を捕まえて、それを取り上げてしまいました。2週間ほどして返してくれましたが、学校の外階段に坐って、その話を読んでいたときに直感的に感じたのは、何にせよ、とても良く書けたものであれば、後で読み返すだけで、以前とまったく同じ感情を呼び起こすことができるのだということだったのをいまでもよく覚えています。これって写真を撮っているみたいだと考えたことを覚えています。ただし、被写体が光景ではなくて、人の感情なのですけれど。それって、なんてすてきなんでしょうと考えましたよ。魔法だわ。本当の魔法だわって。あのウィナンズ小学校の階段での午後のひとときは、私の人生を決定づけた瞬間のひとつです。

あなたはどういう種類の作家なのですか。書くことは大変だと思いますか。

実は、書くというのは、私にとってはほとんど病気です。私が、私のような書き方を「有機的」だというのは、そうするしかないものだからです。食べたり眠ったり息をしたりするのと同じで、それも私の一部なのです。ほかの作家は、タイプライターなどの前に座るとか、「書くことを日課にする」とか、「枚数をこなす」とかを自分に課さなければいけないという話ですけど、私の場合は、タイプライターの前から離れることを自分に課すという問題です。来る日も来る日も1日中、嬉々として書いていられます。他のことは、一切ほったらかしにしてね。

どうしたら、細かいことや会話をそんなにたくさん覚えていられるのですか。

私にはせこい奥の手があったんです。どこの学校でも、その時代の「新技術」に投資していました。つまり、がっちりしたビデオカメラやリール式のビデオのことですね。操作が複雑だったから、とかく敬遠されがちでしたが、私は「技術屋」ですから、それを活かして、誰も必要としていないときは、機械類を自分の部屋にしょっちゅう持ち込んでいました。だから、授業風景もたくさんビデオに撮ったし、それを本を書くための資料としてずっと持っています。それに、主に逸話を書き込んだ日記もつけていました。

実在の人物について書く場合の問題と責任はなんですか。

実在の人物について書く場合は、道義と法律の両方の問題を考える必要があります。
道義的な問題はとても大切です。共有すべきストーリーを共有するのと、人を食い物にするというのは紙一重の差です。昨今は、この微妙な違いがますます曖昧になってきているけれど、人の私生活を娯楽のために利用すべきではないと私は思っています。だから、私が題材にした人の人生には、あえて書かない部分もいくつかあります。
同じように、あらゆる手だてを尽くして、人物が特定できないようにしています。名前、日付、場所を変え、ときには年代をまぜこぜにすることもあります。それでも中には正体がばれてしまう人もいますが、マスコミも私の考えをそれなりに尊重してくれています。
作中の「主役クラス」には、原稿を私のエージェントに渡す前に、原稿の校正をしてもらう機会を設けています。変更の必要が生じるときは、このときに行います。
ときには、そうした結果、本のあちらこちらが、特にエピローグの部分がややもすれば曖昧になってしまうことがあります。それに、この点に関しては法律的な問題もあります。真実と違うことを言ったり、本人の意にそぐわない人物描写をしたりすれば、訴えてくれと言っているようなものですもの。そのために、本を書くときは、事前に必要な当事者の全員から同意書に署名をもらうことにしています。そして、たいていはそうした同意書の中にさっき言ったような原稿に対する「承認権」も含めています。
実在の人物について書くつもりなら、まず弁護士を雇うのが先決です。

登場人物の中に、あなたが書いたことに異議を唱えた人はいますか。

ええ。それで、その部分は削除しました。

描写のされ方が気にくわないと言って、訴えようとした人はいますか。

いいえ、ノンフィクションのほうでそういうことはありませんでした。納得できなかったのは、いままで生じた唯一の問題が、私の『ひまわりの森』という小説で、ある女性が自分の人生が下敷きにされたと思いこんでしまったことでした。でも、それは真実ではないし、幸いなことに、あの小説のアイディアを形にしようとエージェントと手紙をかわしていて、それにはきちんと日付をいれていたので、アイデアの出所が立証されて、この訴えは取り下げられました。

検閲はどうですか。

米国の一部では、私の本が検閲されています。これは、それらが15歳未満の子どもたちにふさわしいものではないと思われてしまったためです。
この意見には賛成できません。たいていの場合、子どもたちが物事を求めるのは、それを学ぶ準備が整ったからです。だから、12歳の子が『シーラという子』を読もうとするのなら、読めるくらい心が成熟している可能性が高いのです。私が書くものは、非常に深刻ですが、実際に起きたことです。本には、最悪の事態もときには起きる世界が描かれていますが、事態を改善したいと願う善良で思いやりのある人がいる世界も描かれています。こうしたメッセージから子どもたちを遠ざける必要はないと思います。

ノンフィクションは誰からもこんなに好かれているのに、なぜあえて小説を書く決心をしたのですか。

ノンフィクションの本は実体験に基づいていますから、お分かりいただけるでしょうけれど、その数には限りがあるからです。それに、プライバシーの問題や同意を得られなかったという理由で書けない内容もあるのです。
ジャーナリズム的な書き方にはそれほど興味がありません。それはノンフィクションであっても、他人の生活に関するものですから。私が一番好きなのは、心の奥底の感情について書くことで、他人の奥深い感情を正確に書くなんて無理な相談でしょう。だって、心の中に入り込めるわけはないんですもの。
小説を書いたその他の理由は、独創性という観点からです。ノンフィクションの本は制約だらけです。まだ書き始める前から、あらすじ、登場人物、設定はすべて事前に決まっています。そこに織り込める唯一の独創性は、一部の状況を表現したり、なんらかの場面を表したりするのに、登場人物が特定されて訴えられることがないように、どう書けばいいかを考えることくらいですもの!

最新作が英語版で手に入らないのはなぜですか。

『機械じかけの猫』が「アメリカ向きの小説」であると見なされなかったからです。どちらかといえば入り組んだストーリーなので、米国の出版社は、米国人読者にはアピールしないと感じたのでしょう。その結果、スウェーデン語、イタリア語、フィンランド語だけの刊行となり、間もなく日本語とフランス語でも出版されるはずです。いままで、出版すれば成功させてくれてきたこれらの国の読者には本当に感謝しています。

英語版の『ひまわりの森』はどこで手に入れられるのでしょうか。

『ひまわりの森』は1983年に書いたものですが、英語版はもう絶版になっています。出版業界ではよくあることです。「販売期間」が数年を超える小説はごく少数ですもの。この本を見つける最大のチャンスは、eBay.comを見るか、Amazon.comのようなところに名前と住所を残すことです。私の友達が1冊欲しがっていて、インターネットを通じて運良く4冊も手に入れたので、本が出回っていることは間違いありません。www.bol.comでも英語版の新本を販売しているようですよ。

『ひまわりの森』が再版される可能性はあるのでしょうか。

これは、出版社と相談しなくては分かりません。本のこの部分に関しては、私にはどうしようもありません。私の日本の出版社が『ひまわりの森』の英語版の再版を手に入れようとしていたようです。というのも、この本の日本語版は人気が高く、日本の大勢の読者が原書でも読みたがっていたためですが、その努力も今のところ不首尾に終わっていると聞いています。

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ファンレター

ファンレターをもらうのは好きですか。

自分の書いたものが人に対して有意義だということは、どの著者でも知りたいことだと思います。ですから、答えは「はい」です。ファンレターをもらうといつでも嬉しくなります。受け取ったものはすべて、自分でちゃんと読んでいます。

そうした手紙は、あなたより先に出版社などが目を通すのでしょうか。

はい。いつもそうというわけではありませんけど。それにはいくつかの理由があるのです。一般的に出版社というのは、著者がどういうファンレターを受け取るのか知っておきたいものです。というのも、出版社の希望は読者の求めるものに一番いい形で応えることですから。たとえば、大勢のファンが同じことに関心を抱いているのなら、出版社は作家に対して、将来そのことを書いて欲しいと依頼するでしょう。また出版社は、著者の安全に目を光らせるためにも、郵便物を読みます。英語を話さない人からのファンレターの場合だと、出版社がまず読んで、そのファンの言っていることをかいつまんで教えてくれることもあります。でも、翻訳まではしてくれませんね。私の経験では、私の出版社は私宛の郵便物の25%ほどを開封します。残りは未開封で届けられます。

ファンレターを送ったのですが、返事をもらえませんでした。手元に届かなかったのかもしれませんね。

おそらく届いていると思いますよ。出版社は実はかなりしっかりと郵便物を作家に転送してくれます。ただ、私は海外に住んでいるので、中には、郵便物をまとめて転送することにしている出版社もあります。そのため、3ヶ月から6ヶ月ごとにどさっと郵便物が送られてくることになります。そういうことから、ファンが手紙を書いた時期と私が読む時期とにかなりのずれが生じる場合があるのです。

ファンレターを送ったのですが、返事をいただけませんでした。なぜでしょうか。

ファンレターに関しては、おびただしい数が届きます。世界中から送られてくる手紙が一ヶ月に2000通にもなることがあります。ひとりでそのすべてに返事を出すのは、どう考えても不可能です。そんなことをしようとすれば、本を書いている暇もなくなってしまいます。他にもたとえば、私は家族の世話をしたり、羊を育てたり、子どもとのプログラムも続けたりと、いろいろしているのですもの。このメッセージボードなどの手段を通じて、ひとりでも多くのファンと個人的に交流できて、なおかつ人並みの生活もしたいと思っているところです。

返事をもらえる可能性が増すようなすばらしいファンレターを書く秘訣はありますか。

基本的な礼儀を忘れないようにしてください。特に、手紙を書こうとするほど好きな作家なら、十分な時間を割いて、作家の名前の綴りを書き間違えないようにし、本の題名を正しく把握していることを示してください。読んだばかりの本の中に書いてあるようなことやブックカバーに答えが見いだせるようなことを質問しないようにしましょう。そして何よりも大切なのは、封筒だけでなく、必ず手紙にも住所をきちんと書くことです。実際、返事を書きたいと思ったことは何度もありますが、手紙が封筒と別にされたり、封筒が出版社のところで外されてしまったりして、手紙と一緒に届かなかったために、手元に住所がないということもあります。

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ビデオ

あなたと子どもたちの授業風景のビデオがあるそうですが、それはどこで見られるのでしょうか。

授業に使うために自分のために作成したビデオがありました。旧式のリール式のものでしたから、リール式の技術が消えてしまう前に、きちんとビデオカセットに移しておかなかったせいで、ほとんどがなくなってしまいました。それに、こうしたテープは、仕事で使おうと思って作っただけですから、そのほとんどは、公開する同意を得ていません。ですから、一般の方に見てもらうようにすることは総じて不可能だと思います。これも申し上げたほうがいいと思いますが、これらは実際の授業風景や心理療法のセッションを撮ったテープですから、うんざりするほど退屈な場合がほとんどです。退屈なところを全然削除していない実際の生活というものは、必ずしも面白いとは限りません。

これらの写真は、トリイと子どもたちの授業風景のビデオから取り出したものです。

あなたの本のうち2冊がテレビ化されたそうですが。

『檻のなかの子』が1986年に、「Trapped In Silence(沈黙の罠にはまって)」というタイトルでテレビ映画化されました。主演はマーシャ・メイソンとキーファー・サザーランドでした。みなさんが、番組の中のマーシャ・メイソンと、ケビンに実際に取り組んでいたときの私との間に、20歳という年齢差があることを見逃してくれれば、なかなか良くできていました。それと、私はつい、彼女のものだったあのすてきなアパートとばかでかい車を私も持っていたらとそればかり思ってしまいます。
『シーラという子』は、1995年に「Untamed Love(野生の愛)」という題でテレビ映画化されました。主演はキャシー・リー・クロスビーでした。悲しいことに、あれはひどい駄作で、多くを語らないほうが賢明でしょう。
もしこのウェブサイトが好評を博して、みんなでいい関係を作っていけるのなら、いつか『トリイ、ハリウッドに行く』という面白い話をしてみたいと思っています。

そうした映画のビデオはどこで買えるのでしょうか。

「Trapped In Silence」は、前回Amazon.comをみた時には、米国のNTSC方式のものが入手可能でした。賢明にも、アマゾンは「Untamed Love」のほうは在庫を抱えないことにしています。どちらもPAL方式で入手できるのかどうかは分かりません。>/p>

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母親業

自分では、ずっといい母親だったと思いますか。

親なら誰しもいい子育てをしたいと思っていると思います。でも、これはとても難しい仕事です。もちろん、子どもの発育におけるなにがしかの経験があることは助けになっていますけれど、間違いも盛大にしています。実は、親になるということには、誰も話してくれない部分がたくさんあるということです。おそらく話すことができないのでしょう。これだけは、娼分で経験するしかありません。ただ、自分のしていることが分からないので、間違いはするし、それは、あとになってからでないと、間違いだったことが分からないのです。間違いの中には、修正したり、謝ったりすれば済むものもありますが、それを抱えていくしかないものもあります。私は、娼分がこれまでいい母親であったと思いたいです。もちろん、努力もしてきました。でも、この質問には、名しか答えられません。

母親になることで、驚いたことはありますか。

そりゃもうたくさんあります。母親になったとき、心理学や子どもの発達の学位や保育の経験やなにやかにやで、うまくやっていけると確信していました。本質的にのんきな性格なので、何事にものんびりやれるだろうと思っていました。>br> ところがまあ、どうしたことでしょう。何よりも驚いたのは、他人の子を相手にするのと、娼分の子を相手にするのとでは大違いだということを発見したことです。とにかく切れてばかりいました。それが驚きでもあり、心配でもありました。他の子どもなら、何をしようが辛抱できるのに、可哀想なシーナ。ほんのささいなことしかしていないのに、私は頭に血が上ってしまいました。ようやく最後には、誰しも自分の子どもにはこういう風に感じるものなのだということが分かりました。自分の子どもは自分のものですもの。1日24時間べったりになります。できたらそれが永遠に続いて欲しいくらいです。だから、子どもがどういう風になるかが問題になります。いつでも子どもの現在と、そして将来のことも考えてしまいます。いい人生を送ってもらいたいし、そこに自分がいなくなっても幸せでいてもらいたいと思います。だから、自分にとってこれほど大切な人のことでのんびり構えるのは至難の業です。

母親になることで、一番大変なのはどういう部分ですか。

私が受けた研修や子どもと取り組んだ経験では、子どもの成長には、いま現在感じているよりも遙かに大きな役割を環境が果たすのだと信じ込まされてきました。間違いのない物理的な環境と間違いのない心理的な環境を用意してあげることで、シーナがどういう人間に成長するのかを予想できる(そしておそらく「管理できる」?)と思っていました。でも私が学んだのは、そこにはさらにたくさんの変数があって、それには性格のタイプから、幸運でも不運でも、運の闇討ちに至るまで、ありとあらゆるものが絡んでいるということです。
私の務めは、シーナを私がなって欲しいと望むような種類の人間にすることではなく、むしろ彼女が自分でなりたいと思うような人間に育っていくのに必要な支援と指導を提供することなのだという事実を受け入れるまでに、長い時間がかかりました。よくよく考えれば当たり前のことのようですけれど、実行するのは驚くほど難しく、また自分がきちんとできているかどうかを、後で分かるのではなくて、その時々に知るのも、驚くほど難しいことなのです。

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